2014年1月30日木曜日

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(11) 作曲家 渡辺宙明

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(11) 作曲家 渡辺宙明

私は伊福部先生の名著「管弦楽法」(旧版)で楽器法を学びました。
そこに、管楽器の奏法の解説の箇所で誤植を見つけたので、弟子の松村禎三さんに報告しました。約10年後、京都の撮影所の録音スタジオで、スコアの整理をしていた所へ、たまたま打ち合わせに来ておられた伊福部先生が入ってこられ、「伊福部昭と申します。あの誤植は後で気が付いたのですが、間に合いませんでした」とのお言葉、驚くとともに、その誠実なお人柄に心を打たれことを今でも鮮明に覚えています。

http://homepage2.nifty.com/tomo-tomo-room/chuumei_profile.html

2014年1月29日水曜日

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(10)松尾祐孝(作曲家)

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(10)松尾祐孝(作曲家)

私は、残念ながら故人と直接お会いしてお話をする機会を持つことはありませんでした。しかし、その作品や人生の軌跡から学んでいること、そして心の指標になっていることはとても大きくまた深いと感じています。

*自己の信じる審美眼による創作を貫き通し・・・
*ヨーロッパの語法や様式に媚びることなく・・・
*我が国の持つ伝統的或いは民俗的な要素を取り入れながら・・・
*映画音楽に芸術音楽のエッセンスを盛り込んで・・・等々

今の若い方にも貴重な道標となるものではないでしょうか。
そしてまた、映画音楽で伊福部昭の音楽を知った方々には、今後は是非、「交響譚詩」をはじめとする素晴らしい芸術作品群もお聴きいただきたいと思います。先人の軌跡に、敬意と感謝を表するものです。

松尾祐孝(まつお・まさたか)

1959年 東京生まれ
1982年 東京藝術大学音楽学部作曲科卒業
1984年 同大学院作曲専攻修士課程修了
1984年 現音作曲新人賞入選
1985年 日仏現代音楽作曲コンクール特別賞
1986年 第1回個展開催(東京)
1988年 ACL(アジア作曲家連盟)青年作曲賞
     第1位
1989年 Impressions of Hong Kong管弦楽曲
・・・・・コンクール第1位
1992年 ISCM(国際現代音楽協会)ワルシャワ大会
・・・・・国際審査入選
1993年 村松賞受賞
1996年 第2回個展開催(東京)
1999年 別宮作曲賞受賞

作曲家・指揮者・音楽プランナーとして活躍。
また作曲活動の一方で、NHK教育テレビ「ゆかいなコンサート」プレゼンター(1993〜94年)、N響生中継解説者(FM及び衛生放送)等で、お茶の間にも人気を博した。

現在、本務校の洗足学園音楽大学教授として音楽教育コースの統括責任者とアンサンブル・ヌーボーの企画運営を担当している他、東京芸術大学作曲科非常勤講師、尚美学園大学非常勤講師、現代邦楽研究所講師も兼務。また、日本現代音楽協会副会長・理事・財政戦略企画室長も務めている。その他、深新會代表、現代音楽企画集団PHONOSPHERE MUSICALE主宰。
http://www.senzoku.ac.jp/music/school/teachers/composition/id_14/

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(9)稲田康(指揮者)

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(9)稲田康(指揮者)

伊福部先生の百年紀コンサートに際しまして一言お祝いを申し上げさせて頂きます。
私は東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団、日本音楽集団、オーケストラ・アジアの指揮をしております。
洋楽、邦楽、を問わず多くの音楽作品を指揮してまいりました。
伊福部先生の作品を知ったのは、幼い頃見た映画「ゴジラ」が最初でした。「ゴジラ」は「SF交響ファンタジー」と題されたオーケストラピースにこのテーマが出てきます。単純なフレーズの繰り返しなのですが、一度聞くとおそらく一生忘れないででしょう!
強烈なインパクトを持ったテーマです。巨匠の成せる技でしょう。そして「SF交響ファンタジー」後半には、軽快な2拍子の曲が続きます。私はこの曲を聞き、「日本のアニメ音楽の原点はここに有ったのだ。」と、驚きと感動を覚えました。
日本の自然や風土を歴史観をもって未来おも感じさせる伊福部先生の音楽は、これからも多くの人を魅了していくことでしょう。

プロフィール
稲田 康 Yasushi Inada
1975年に日本音楽集団に入団し、定期演奏会の企画構成や、各地での学校音楽鑑賞会での指揮を手がけている。

1949年京都生まれ。

京都芸術大学音楽学部指揮科卒業。
ウィーン国立アカデミーに留学。
指揮をハンス・スワロフスキー、伊吹新一、外山雄三、森正、山田一雄の各氏に、作曲をフリードリッヒ・ノイマンに、現代音楽をカール・オルフに学ぶ。
帰国後は、オーケストラ(新日本フィルハーモニー交響楽団、東京ユニバーサルフィルハーモニー管弦楽団ほか)、オペレッタ(日本オペレッタ協会)、ミュージカル(「アニー」「ミスターアーサー」「ベルサイユのバラ」)、現代邦楽、市川猿之助スーパー歌舞伎の音楽など様々なジャンルで活躍。
1995年、東京フィルハーモニー交響楽団を指揮したNHK制作の番組が、プラハ同際テレビ祭・チェコクリスタル現代音楽優秀賞を受賞した。

2014年1月27日月曜日

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(8)邦楽ジャーナル編集長 田中隆文

伊福部昭生誕百年へのメッセージ第八弾!

邦楽界にこの人あり! 邦楽ジャーナルの編集長 田中隆文さんです!

私の伊福部昭 邦楽ジャーナル編集長 田中隆文

 NHKラジオ「現代音楽の時間」で野坂惠子奏する箏の音を聴き感動した。翌日、レコード店で「日本」をキーワードにLPを探す。「日本音楽集団」「日本狂詩曲」がひっかかった。両方とも私にとっては衝撃の世界だった。こんな世界があろうとは! 18歳のとき、1973年だったと思う。以来、何百回とそれを聞いたことか。
 関西の大学で邦楽部に入部した。関西学生邦楽連盟で機関誌を作ることになり、邦楽の著名演奏家に寄稿してもらおうと、委員長としてお願いに上京した。山本邦山氏、野坂惠子氏…そして私の中では神様だった伊福部昭氏にも公衆電話からお願いした。
 「関邦連の機関誌に寄稿をお願いしたいのですが」
 「いま、忙しくて申訳ありませんが…」
 「ちょ、ちょっと待ってください。ボク、先生のファンなんです。お会いしたいんです」
 「そういうことならどうぞ。いつ?」
 「今から」
 尾山台のお宅に伺った。カチコチにかたまった私をあたたかく迎え入れてくださった。『ラウダ・コンチェルタータ』を作曲しているところだと、ピアノの前に置かれている楽譜を見せてくれた。1976年初冬のことだ。
 氏自らお茶を淹れてくださり、夢のような時間が過ぎてゆく。1時間だったのか、2時間だったのか、長く感じられた。
 「ボク、『日本狂詩曲』で奮えるほど感動しました。でも、実は小さい頃から『ゴジラ』で先生の音楽聴いていたんです!」自分の熱烈伊福部ファンぶりを知ってもらいたいばかりの意味のない質問。だが、氏はすべてに丁寧に返してくれた。「私も若い頃はなんでもしなければならなかったからねえ」
 「ボクは『リトミカ・オスティナータ』が一番好きで、スコアも買って頭に入っています。」「ギターは『箜篌歌』と『踏歌』を暗譜して弾けます」何をバカみたいに自慢してるんだと思いながらも口をついて出る言葉。それにも、「そう、ありがとう。じゃあ…」と立ち上がり、棚から『ギターのためのトッカータ』の公刊譜を出してきて、表紙にイタリア語でサインをしてくれた。
 今から考えると、私の行動、言動はむちゃくちゃだ。こんな音大生でもないボケ学生にも貴重な時間を割いてくれた。誰に対してでもそうなのだろう。人の大きさを見る。
 お会いしていただいたとき、氏が東京音大の学長で、日本音楽集団はそこに練習場を持ち、集団の三木稔や芥川也寸志、黛敏郎といった著名作曲家がこぞって伊福部門下であることなぞ、知る由もなかった。私にとっては、私が探し出して来た伊福部昭だった。恥ずかしいと思う。でも、それでいいとも思う。私にとっては今でも音楽の神様に変わりはなく、あくまで「私の伊福部昭」なのだ。

写真(C)ヒダキトモコ
http://www.hogaku.com/tanaka.html
有限会社邦楽ジャーナル代表取締役・編集長。邦楽アソシエーション代表。
1955年生まれ。
1987年月刊誌「邦楽ジャーナル」を創刊。
1999〜2005年、日本初の邦楽専門ライブハウス「邦楽ジャーナル倶楽部・和音」開業。
2001〜2010年邦楽界最大規模の総合イベント「日本の音フェスティバル」企画制作(JASRAC主催)。
2004〜2007年津軽三味線と太鼓の月刊情報誌「バチバチ」発行。
2006〜2010年NYにおける世界最大規模の芸術見本市「APAP」関連公演として「Hogaku:New Sounds of Japan」プロデュース、同時に講演(国際交流基金主催)。
2006年〜邦楽アソシエーションを創設して邦楽器業界月刊紙「和楽器文化」発行。
2010年「宇宙箏」を小川楽器と製作、山崎直子宇宙飛行士が宇宙ステーションで演奏。
2011年〜野坂操壽・沢井一恵「箏―ふたりのマエストロ」コンサート全国ツアー企画制作。
2012年5月京都で国際尺八コンクール主催。

理事職
和文化教育研究交流協会常任理事
全国邦楽器商工業組合連合会常任理事
東京和楽器製造卸組合理事
NPO賢順記念全国箏曲祭振興会理事
NPO日本の音振興普及協会「楽音会」副理事長
NPO全国邦楽合奏協会副理事長
一般社団法人波の会日本歌曲振興会名誉会員
(2013年5月現在)

2014年1月26日日曜日

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(7)西村朗

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ 第7弾は!

池辺晋一郎氏のあとをついでN響アワーの司会者をされたり、
作曲だけでない執筆活動も知られる西村朗氏です!
 
 伊福部昭先生が、東京音楽大学の作曲科教授をつとめられていた1990年代、8年間ほど助教授としてお仕えしました。当時、折にふれて先生から賜った金言至言は、私の生涯の宝となっております。先生には多くの傑作がありますが、そうした作曲家としての偉大な創作とともに、私たちにとって特別に重要なお仕事で、かけがえのない凄い業績として不朽の輝きを放ち続けているのが、かの名著「管弦楽法」上下巻です。オーケストラとは何であるかを徹底的に研究し、楽器各論から共同効果までを多くの類例と独自の思索を加えて詳述したこのような大著は、世界に類を見ないものと言えます。日本からの作曲留学生を受け入れたヨーロッパの作曲教授たちは、日本人留学生の管弦楽についての知識の豊かさと正確さに驚きを隠しません。それはすなわち伊福部先生の「管弦楽法」の成果です。今日では、広くアジアの作曲学生にとっても重要な書となっております。
 話は変わりますが、 伊福部先生は私より39歳年長であられました。
 大学でのある時、僕に向けてのお言葉、
「あなた鉛筆で楽譜を書いてますか。」
「はい。」
「それを長く、年齢を重ねても続けられる秘訣、伝授しましょうか。」
「はい。」
「鉛筆を右手に持つなら、消しゴムは必ず左手でという習慣をつけることですな。右手を守るために。消しゴムは手にはなはだ負担をかけるからですよ、ふふふ。」
 時に厳しく、時に優しい先生でした。 

西村朗
http://www.tokyo-concerts.co.jp/index.cfm?menu=artists&artistid=010&lang=jp

2014年1月25日土曜日

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(6) 池田卓夫

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ 第6弾は!

池田卓夫氏です!
Naxosでの「日本狂詩曲」レコーディングの思い出です。
そのままドキュメンタリーを見るようです!

伊福部先生とは、キングレコードが広上淳一指揮で作品集を録音した折にインタビューさせていただいたのが初対面。戦争中の翼賛的な仕事のことまで、率直に語ってくださったのが、印象に残っています。次いで、ナクソスに私が提案して実現した「日本作曲家撰輯」第1作、沼尻竜典指揮東京都交響楽団の録音現場をご一緒しました。ご高齢の先生に配慮して、朝10時からのセッションに「日本狂詩曲」を置いたのですが、英国人プロデューサーのアンドルー・ウォルトン、エンジニアのトニー・フォークナーの両氏は「ゴジラ」の映画音楽を通じて伊福部ワールドに触れ、強い尊敬を抱き、収録作品のスコアもよく調べてきたので、なかなかオーケーが出ません。伊福部先生も「もっと泥臭い響きを!」と譲らず、15分ほどの楽曲の収録を終えたのは、午後4時でした。真夏でしたから、みな高齢の作曲家の体調を気にしましたが、ご本人は「なあに、長年この時期は映画の伴奏音楽の収録で朝から晩までスタジオに詰めていましたから、平気です」と、けろりの風情だったのに感心しました。自作、しかも思い出の出世作を最上の形で次代に手渡そうとの思いがひしひしと伝わる、素晴らしい時間を共有させていただいたのは、本当に光栄でした。

池田卓夫=音楽ジャーナリスト
http://www.watanabe-group.com/cc/members/a_gyo/ikeda_takuo.html

2014年1月24日金曜日

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(5)芥川眞澄

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ第5弾は!

伊福部昭門下の長兄として様々に活躍した芥川也寸志夫人の
芥川眞澄氏です!

伊福部先生の思い出  芥川眞澄

昭和21年、軍楽隊から東京音楽学校に戻った芥川也寸志は、学校で伊福部先生に初めてお会いしてお話しを聞いたその日に、当時、日光にお住まいの先生のお宅まで押しかけて、そのまま三日三晩居候を決め込んでお話しの続きを伺い、その場で弟子にしていただいた、という話は有名になっていますが、戦後の食糧難の時期に、奥様には大変お世話をおかけした、と繰り返し申しておりました。

1987年11月1日、先生ご夫妻と私たち夫婦とで、上海で行われる「日本交響作品展」のために、9日間の旅に出かけたのが、私にとっての大切な思い出となっています。
上海交響楽団と芥川の指揮で、先生の「シンフォニア・タプカーラ」早坂文雄「右方の舞と左方の舞」芥川「トリプティーク」というプログラムだったと思います。
7、8日の2日間、上海音楽院のホールでの演奏会でしたが、連日のリハーサルの間には、上海市内の骨董店を見て廻ったり、豫園の観光に出かけたり、とても美味しい北京ダックを繰り返し食べに出かけたり、かなり寒い時期ではありましたが、本当に楽しい旅行でした。
先生は黒いカシミヤのコートと黒いソフト帽に蝶タイ、奥様も黒いコートに黒いレースの前垂れのついた帽子、それに長身の芥川ですから、上海の古い町並みを歩いていても、かなり目だっているようでした。

演奏会には、作曲家の呉 祖強氏、朱 践耳氏、指揮者の陳 変陽氏など、多くの重鎮もお見えになり、ご夫妻にもとても喜んでいただき、「これで先生への恩返しが、少しは出来たかな」と、芥川も嬉しそうな顔をしていました。

演奏会の後も、芥川は上海音楽コンクールの審査員として残ったために、私ひとりが先生ご夫妻とご一緒に東京まで戻ることになり、緊張の続く空の旅でありました。

芥川眞澄
東京生まれ。東京藝術大学大学院・作曲修士課程終了。在学中より、TV・レコード・ステージ等で作曲とエレクトーンの演奏活動を始め、毎年のヨーロッパ各地の演奏旅行やリサイタル、オーケストラとの共演など、現代音楽からジャズまでの幅広い音楽活動を展開し、注目を集める。
その後、作曲家・芥川也寸志との結婚、育児での音楽活動休止期間があるが、映画音楽の共同製作など、作、編曲を中心に活動を再開。主な作品は「オルガンコンチェルト」、合唱曲「山のまつり」(NHK合唱コンクール課題曲)童謡「ののさまいくつ」など。
毎日音楽コンクール管弦楽部門三位(1964年)、エレクトーンコンクール作曲(1964年)、演奏各部門(1965年)でそれぞれ一位受賞。

2014年1月23日木曜日

伊福部昭生誕100年へのメッセージ(4)福士則夫(作曲家・日本現代音楽協会会長)

伊福部昭生誕100年へのメッセージ第4弾はこの方!

矢代秋雄と松村禎三にも師事された(つまり伊福部昭の孫弟子)でもある
福士則夫氏(作曲家・日本現代音楽協会会長)です!

日本現代音楽協会出版のNEW COMPOSER Vol.5 誌上で、現代音楽についてのインタヴュー記事が印象的でしたので以下に転載します。

純粋思考の怖さについて発言されている部分で、「頭に一本しか毛がないんだけれどもそれが五百メートルもあって、それを束にして頭の上にのせたらそれは、はげなのか、と言う。判定に苦しむのですが(笑)時々そういう妙な作品、虚をついたようなのが現れるものですから、やっぱりそれでいいんだということになってみんなもやる。そうすると民衆もついてこなくて、必ずしも民衆がついてこなくてもいいのですが、芸術ではない世界にいってしまいがちになるのではないでしょうか。」

伊福部さんとは残念ながら面識が有りませんでしたが、初版と再版の管弦楽法を今も使っています。一度お会いしたかった方です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%A3%AB%E5%89%87%E5%A4%AB

2014年1月22日水曜日

伊福部昭生誕100年へのメッセージ(3)日本民族の誇りです 高橋明邦(邦楽指揮者・打楽器奏者)

伊福部昭生誕100年へのメッセージ第三弾は

九人の門弟の三木稔でチャンチキを担当された、高橋明邦氏です。東京交響楽団や新星日響や日本音楽集団等、様々に打楽器奏者として活躍され、和と洋の音楽を理解した繊細にして豪快な演奏を知られています。まさに日本の打楽器界にこの人あり!という名手です。昨年は、三木稔個展での指揮も高い評価を受け、指揮者としての活動も注目されています。


日本民族の誇りです 高橋明邦(邦楽指揮者・打楽器奏者)

私の思い出は「ラウダコンチェルタータ」初演。
当時、私は新星日本交響楽団の打楽器、芸術委員で確か、10周年記念委嘱で伊福部氏の名前があがりお願いした所『今は忙しいが、こんな曲があるんだけど・・』と出てきたのがこの曲でした。

マリンバ協奏曲。

何故、先生がこの曲を書かれて、かつ、初演されていないのか???

これも不明ですが、ソロを誰に?で相談し、安倍圭子氏に依頼しました。その後、安倍先生のお話しですと、より効果的なマリンバの奏法を、伊福部氏とディスカッションして初演を迎えたそうです。
指揮は山田一雄氏でした。

オケ内には3パートのパーカッション、後半、3名は全てが太鼓群(ティンパニ、トムトム、バスドラム?)でアイヌの土着的なリズムを延々と叩く。

この盛り上がりも、忘れられない興奮、生きる躍動、生命の鼓動!

その時の「ブラボー」は忘れられない。
日本民族の誇りですね。

2014年1月21日火曜日

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(2)中川俊郎

伊福部昭生誕100年へのメッセージ 中川俊郎(作曲家・ピアニスト)

中学2年の頃、三善晃先生のレッスン時に、「先生、オーケストレーションを勉強したくなったのですが、何を読んだらいいですか?」と言ったら、即座に「伊福部先生がいい。」とおっしゃられ、書籍名をささっとメモして渡して下さった。三善先生が先生…とお呼びになる程の方なのだ…と驚いたが、そのことは今の私には当時より一層陰影を増して、深く理解できる。

伊福部先生と初めて、そして結果的にこの時一度だけお目にかかったのは、もう30年程前になるか、藍川由美さんの伴奏をした時の打ち上げの席でだった。 「先生のオーケストレーションの本ずっと愛読しています。」「ああ、オーケストレーションの本かぁ(苦笑。だけどまんざらでもない…という感じで)」あわてて、「ヴァイオリン協奏曲素敵でした!」と申し上げたら顔がパッ…と華やがれた。このやりとりが先生とのたった一度の、しかし永遠の宝物である出会いである!

最近でも間接的にお世話になったことがあった。サントリー・伊右衛門の「特茶」(モ ッくん出演!)のCM.のファンファーレ (ドレ|ミーレミファーミファ|ソファミー ドレ|ミーレミファーミレ|ドシラー♪) を作った時に、サンプル曲としてデモDVD.に当たっていたのが、先生の「宇宙大戦争」だった。これはハードル高すぎ!私は顔には出さなかったが、暗澹たる気持ちになった。何回か提出し直し四苦八苦したが、先生のメロディーやハーモニーのパートライティング(ほとんど4度や5度和音)のように強くシンプルで、個性的で魂が解放された境地には、及ぶべくもないが、なんとか私なりにオーダーに近づこうと腐心した覚えがある。

ケージ、カーゲル、クセナキス、ラッヘンマン、武満、湯浅、松平に慣れている私の耳にも、先生の音楽は先鋭的であり続けており、必然である。これは一度どこかで意思表示して起きたかったことである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E4%BF%8A%E9%83%8E

伊福部昭 生誕100年へのメッセージ(1)

これから、コンサートに向けて毎日「伊福部昭 生誕100年へのメッセージ」を紹介していきます!

第一弾は東京音大で伊福部昭先生とともに後進を指導され、日曜は題名のない音楽会の伊福部昭特集にも出演!

昨年は声楽入りの第九交響曲を発表(日本人史上初!)された池辺晋一郎氏です。

伊福部先生の魂           池辺晋一郎(作曲家)

 伊福部昭先生は、まさに「昭和」の日本作曲界を牽引した存在であった。僕は直接の弟子ではない。1974年に伊福部先生が東京音大に呼ばれた同じ時に、僕も同校に務めることになったこと、以後同校作曲科教員として先生のもとで仕事をしたことなどが、先生とのつながりである。やがて伊福部先生は同校学長の重責を担われることになる。さらに、松村禎三、黛敏郎、三木稔、石井真木など伊福部門下の重鎮たちと親しくつきあい、先生についてさまざまな話を山ほど聞いた。加えて映画の仕事も少なくない僕は、映画の古いスタッフからも、先生についてたくさんのエピソードを入手した。こうして僕は、ほとんど自分も門下生であるかと錯覚してしまうほどに、先生を知ることになったのである。
 真の教養にあふれた方だった。そして、その眼光からも察することができるが、深遠な哲学者のようでもあった。先生のひと言は常に重く、一度聞いたら忘れられぬものだった。  
 その魂が、その作品に込められている。オーケストラ作品、室内楽から歌曲そして映画音楽に至るまで。それらの音符ひとつひとつに内蔵する深いメッセージが、今なお大きな意味を聴く者へ伝え、限りなく魅力的であるのは、込められたその魂ゆえだと僕は思う。
 今日のコンサートでも、生誕100年という時を超えて、その魂がたくさんの人の耳へ、心へ、確実に届くだろう。

池辺晋一郎プロフィール
http://www.tokyo-concerts.co.jp/index.cfm?menu=artists&lang=jp

2014年1月7日火曜日

福田滋さんの記事が本日の日経新聞に掲載されました。



本日、1月7日の日経新聞朝刊文化欄に、指揮者・編曲家の福田滋さんのインタビューが掲載されました。生誕百年を迎える伊福部昭先生との出会いから日本の作曲家研究がライフワークとなるまで。團伊玖磨との交流にも触れています。
これらの活動がスリーシェルズのCDや「奏楽堂の響き」にもつながりました。
ゴジラの原譜を借りて帰るエピソードなども興味深いです。
福田滋さんへのインタビュー記事の隣には、小澤征爾さんの「私の履歴書」第6回「指揮者を志す」。日経さん、さすがの紙面づくりです。

福田さんも指揮で登場予定の伊福部昭百年紀コンサート情報はこちらで。http://3scd.web.fc2.com

福田滋のCDはこちら

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2014年1月6日月曜日

今井重幸氏が2014年1月4日に御逝去されました

伊福部昭生誕100年コンサート実行委員会(伊福部昭百年紀)の
実行委員長である今井重幸氏が2014年1月4日に御逝去されました。

4日午前10時35分、食道がんのため東京都文京区の病院で死去、81歳でした。

通夜は9日午後6時~
葬儀は10日午前11時~

東京都文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿にて行われます。

喪主は長男幸輝(こうき)氏、葬儀委員長は音楽家の奥平一(おくだいら・はじめ)氏。




本会では、今井先生の師匠である伊福部昭先生の生誕100年にむけて、三年前から企画進めておりました。伊福部先生の生誕99年には年齢や闘病中であることを感じさせないエネルギッシュな曲をオマージュとして作って下さり、100年のオマージュもとお願いしていたのですが・・・。

1月4日、81歳の誕生日を迎えて、朝の光とともにお亡くなりになるとは・・・。
 

最後まで作曲家として、音楽とともに生き、音楽へ人生を捧げた方でした。

私達は今井重幸先生の分も、伊福部昭への数々の想いを受け取って、生誕100年を盛り上げたいと思います。

ありがとうございました。